Kii's Open Field

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2016年4月23日土曜日

塗装 渋墨

和歌山県かつらぎ町で製造している塗料
柿渋と松煙を混合したもの

塗ってみると想像していたよりも濃い黒になった
2日間掛けて外壁を塗装

不思議なことを見つけた
天気の良い乾燥した日、黒く塗った倉庫に縦筋模様に木の地色が見える
ほんのわずかな縦筋だが、黒地に鮮やかな木の色が目立つ
まるで塗装の隙間があるかのように

雨降りや湿度の高い日は、全面真っ黒に戻る
重ねて貼っている野地板の境目の部分が、見え隠れしているよう
木が呼吸して(水分を吸ったり出したりして)幅が変化しているのだ

いちばん高いところは、お隣さんから借りた二連梯子を使用




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2016年2月2日火曜日

屋根はガルバリウム平板

「これが一番経済的」→素材決定
垂木の上に野地板、その上にアスファルトルーフィングを張っていく
屋根端部の金物は、木沢さんに札幌のホームセンターで、既成品を買ってきてもらう
ガルバリウム平板は、ルーフの上にコーキング材を塗布して、下から順に重ねて置き、小さな釘で留め付け
ルーフの上は滑らないが、ガルバリウム板はツルツル

命綱を使い、屋根の上で作成した足場を移動しながらの作業

野地板の上に、アスファルトルーフィングを張ったところ
足場の板を少しずつずらして移動しながら釘打ち



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2016年1月31日日曜日

開き戸

柱の間隔は2.7m。トラクターなどの農機具にあわせて。
出入口はシャッターではなく開き戸。

上部のレールは、インターネットで探して購入。
扉が出来上がると建物に風格が備わった。

扉の上の外壁を張っている
迷った末、斜め張り
把手もつけてもらって完成!


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2016年1月29日金曜日

天窓

明かり取りをどうするか
当初は壁の1面に窓(透明な板を張る部分)を付けることを考えていたが、
どの位置にするか、なかなか決まらなかった

屋根の野地板を張ったその日の作業後、
天窓にするのはどうか、ということになった
素材はポリカーボネートの波板
こうして、この倉庫の外観ポイントの1つが決まったのだった

昼間は扉をすべて閉めても明るい
心配はプラスチック素材の強度と耐久性
大きな雹(ひょう)がないことを願って・・・

照明を点けると、星空に浮かび上がる


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2016年1月27日水曜日

ロケットストーブ

(このブログは、ロケットストーブの内容を説明するものではありません)

冬の作業で、手軽に使えて活躍するストーブ
10月後半から始まった倉庫建築は、
途中に積雪中断もあり、真冬日もあり

重ねて着込んでいたとしても、
手先の感覚を大切にする大工仕事では、
分厚い手袋は向かないので、
すぐに指先から冷えてくる

ロケットストーブの良いところ
 燃焼による高熱と上昇気流を利用することにより、
 点火して木が燃え出すまでの、立ち上がりが早く、
 少ない燃料で最大火力に達し、
 ほぼ完全燃焼するところ

未知数なところ
 長時間の弱火制御

まだ雪が降らない10月、午後の休憩

ほぼ完成した12月初旬




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2016年1月26日火曜日

倉庫の骨格

畑仕事をしたり、
果物の加工をしながら、
建築現場を見守る
傍で次々と、倉庫の骨格が出来上がっていく

初日は、コンクリート成形の型枠を外し、墨付け
その3日後には、2つの面の柱が立ち上がる
4日目にトラスの形が見え始めたら、
その2日後にトラス完成
屋根の垂木張りが始まった



トラスの形が現れはじめたところ

屋根のイメージが見えてきた
垂木を7割ほど張った


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2016年1月25日月曜日

夢の始まりはいつもラフスケッチから

作ることが大好きで、夢を形にあらわしていく、
木沢さんの建築に対する思いを示す言葉

基礎工事前夜のスケッチ

きっと、頭のなかでは既にイメージとして、建っていたのでしょう



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2016年1月24日日曜日

基礎工事

倉庫を建てる場所の土地整備は、仁木町の業者(深澤さん)に依頼
最初は大型のユンボで地形をおおまかに改良(1日で作業終える)
その後、実際の建築予定面積に合わせて、小型ユンボで平面を作り、
砂利(再生骨材)を敷き、ローラーでならす

ここから、木沢さん親子による施工開始
敷地の平坦度を修正
燐家の山川さんから小型ユンボ借用
(急な依頼だったが、快く使わせてもらう)
測量、型枠の板を固定
鉄筋を並べ、編んで固定していく
最後に、江別市の米澤レンガから調達した「還元仕上げレンガ」
コンパネ型枠内側に並べて準備完了
このレンガが基礎の外側のデザインに

生コンは高かった〜
これは競争のない「地域価格」だそうで、
対策しようにもなんともできず
生コン車は3回に分けて配達
あらかじめ相談して決めた規格にもとづいているはずだったが、
1回目はとても硬かった
木沢さん親子と私と妻の4名、
スコップとその場で作成した木製トンボで、
午後いちばん開始、1回目の生コンを敷き詰めるのに2時間掛かった
「終わらないかも・・・」
ところが、2、3回目は同じ規格とは思えぬ低粘度、
おかげで作業ははかどり、
その日のうちに、なんとか基礎コンクリート工事を終えた

それにしても、あのセメント規格は何だったのかな、道南生コン!


型枠の内側にレンガを並べて準備完了、生コン車を待つ

平坦にならしていく作業は暗くなるまで続いた


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2016年1月23日土曜日

助っ人、寛二さん

木沢さんの次男は、長髪の大学生
今回の倉庫工事前半、約1ヶ月の間、
狭い我が家に親子泊まり込みで工事に携わってもらった

大学ではイスラム経済学を専攻
「イスラームでは利息(=お金がお金を生む)はありません」
次の春には東南アジアのイスラム諸国へ旅する予定

夜間はバーテンダーのアルバイト
父親と同じく、紙巻たばことコーヒーを愛す

大阪へ戻られる前に聞いてみた
将来、うちの農園、継いでもらえますか?

「はい!」


作業中の木沢さん父子


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2016年1月22日金曜日

大工の木沢さん

木沢さんは、アリス・ファームに所属されていた。
今では、アリス・ファームの名を知らない人も多いかも知れない。
かつて、仁木町で、西武百貨店とともに、町興しに関わった木工集団。
その主宰者である藤門氏は、隣の赤井川村に移っている。
私たちも20年ほど前に、観光で訪れたことがあった。
アリス・ファームのメンバーは、その後全国に各地で職人として自立、活躍の場を持つ。
木沢さんは、札幌と京都を半年ごとに往復しておられる。

自由な発想
お金を掛けるのは実質的なところ
デザイン性重視
基本構想を重視
設計図面を崇めない
作ることが好き
苦手なこと:細かいこと、整理整頓、詳細な計画、経理・計算、並列で進める仕事
「夢の始まりは一枚のラフスケッチから」

私たちの倉庫、そして住居&工房は、細かな法的な制約など何もない
畑での仕事と、それに連なる生活の場を快適にする場
もちろん予算の制限はあるけれど、より大胆な発想で、おもしろい場所にしたい

私たちはフームさんとの関係をペンディングにして、
木沢さんとの相談を進めることにした。


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2016年1月21日木曜日

木沢さんとの出会い

建築家、工務店、大工さん、職人さん、外注の業者さん
どのような棲み分けなのか、わからなかった。
ただ、実際に建てるには、どんな建て方だとしても、
自前で工事をするのではない私たちにとって、大工さんは必須。

設計図はなかったが、ともかく大工さんを探すことになった。
いざ探すとなると、どうやって探せばよいのか、まったくわからなかった。
これまで知っている大工さんは、工務店などに所属している職人さんだった。
近所の噂では、最近は大工さんは皆忙しい、とのことだった。
多少の建築バブルと、大工さんの数が減ったことで。

ある日、近所の農家さんで、とても素敵に住まわれていて憧れていた、
志羅山さんという方に相談した。

そこで紹介してもらった人が、木沢さんという大工さんだった。


志羅山さん宅でちょくちょくご馳走になります!



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2016年1月20日水曜日

フーム空間計画工房

20133月、札幌円山の事務所を訪ねた。
「新しい出会いだ」
そう感じた。
「おもしろい仕事だから」
と、引き受けていただいた。
手土産に、自家製のさくらんぼケーキを持参した。

以後2年余り、私たちの農閑期に相談に乗ってもらった。
工房の宮島さんは、環境に配慮した住まいを推奨している。
温厚で理論家。
反原発「オール電化って言われたらお断りします」

担当は高田さん。
2014年には自転車で宮島さんとともに来園。
とても真面目で丁寧に対応される好青年。
以後、何度も訪問していただく。

たくさんの提案をいただいた。
工房は、独自の技術で高気密、高性能住宅の実績を誇る。

相談の過程で、順番として倉庫建築を先行させることになった。
私たちの予算の関係で、倉庫はできるだけ低予算で。
しかし、倉庫に入れたいものは多い。
現在持っている(前の農家さんから引き継いでいる)小さなガレージ6棟分の物量。

先ず最初の提案は、
「丸太で柱を立てる掘立方式」
次に、
「海上コンテナ-を左右の柱の代わりに使用」。
ともかくローコストを考えた。

だが、どの方式にしても、
 実際の施工は誰がしますか?
 工務店は?
 大工さんは?
など、具体化するための課題が出てきた。

けれども、本当の課題はまだまだ見えていないのだった。




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2016年1月19日火曜日

どんな倉庫と住居を求めるか

倉庫と住宅を含めた、宅地領域の大改造を、これから開始したい。
建築に関しての知識のない私たちは、設計から考えてくれるパートナーを探した。
その前に、どんな倉庫と住居を求めるか、
あらためて考えてみた。

私たちには要望がたくさんあった。
たとえば、
・農作業と住むこととがつながった「仕事…生活の場」としての農家住宅
・作業効率と美的外観を兼備した倉庫機能
・農作業と生活の中間的なスペースとして「果物の選果場」「加工場」を含むこと
・アプローチ ~ 宅地領域(約1000平米)~ 果樹園(約20,000平米)を自然な動線でつなぐこと

その代わり、一般の住宅にあるような制限などはなかった。
たとえば、
・建ぺい率、容積率など無関係
・確認申請などの許認可不要
・建物登記は個人で可能
多くの法律に規制されることなく、自由に建てられる。

インターネットなどで、北海道内の建築事務所、個人、工務店などで、
私たちの要望と志向にこたえてくれそうな、設計パートナーを探した。

そこで見つけたのが、フーム空間計画工房、という設計事務所だった。


どんな風に働き、暮らしたいかを考えて・・・


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2016年1月18日月曜日

二度の水害

気候変動、地球温暖化。
大きなスケールでは、そのような変化といえるのかも知れない。
昔も水害はあった。
昭和30年、40年代の洪水被害は大きく、
余市川に掛かる橋のほとんどが流された。
その後、橋は改築された。
しかし、九州・本州などと比較すると、北海道は雨が少なく、
台風に遭うこともまれだ。
水害への備えは十分とはいえない。

そんな雨対策の状況は、決して人ごとではなかった。
就農した翌年、2011年9月、3日間連続の長雨最期の日に床下浸水。
警察や取材も入り、地元TVテロップや新聞記事に紹介され、ちょっと有名になってしまう。
さらに2015年4月、雪解け水と、ちょっとした降雨で再び冠水。
いずれも消防ポンプで汲み出してもらって、事なきを得た。

調べてみると、住居周辺は明らかに周囲に比べて高度が低い。
集まった水の排水先にも問題があることがわかった。
普段は何も問題ないのだけれど、
大雨が続いた時や、春先の雪解け時には、地下水位が高くなり、
周囲から水が集まってきて増水、すぐに冠水状態になることがわかった。


水の恐ろしさを経験した私たちには、安心して住める住居を求める気持ちが強くなった。


消防ポンプは強力。頼ってばかりはいられませんが。



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2016年1月17日日曜日

良い景色を見て暮らしたい

農園の南方には、仁木町のシンボル頂白山(461m)が見下ろしている。
ぶどう畑、西洋梨の高木を前景に、高台のブルーベリー畑、
そして背後に山がある図が、私たちが毎日畑に向かうときに見ている光景だ。
果樹園の左右両脇は、それぞれお隣のトマト畑が続く。
ハウスの中で熱心に働く人たちを眺めながら、その日の作業場所へ。

家から果樹園を眺める。
農家は仕事と暮らしが繋がっている。
畑での作業と家の中とは、明瞭な切れ目はない。
靴の泥を拭い、上着を脱いで、
徐々にONからOFFへと切り替わっていく。
けれども、天候の変化、畑で物音、動物の声、蕾の膨らみ、虫たちの動静、
すぐにOFFからONへと連れ戻される。

農家と暮らしが一体のものなら、
毎日眺めるのだから、
良い景色を見て暮らしたい。
住宅のある辺りから、どの方向、どの位置から畑を見渡す光景がいちばん好きか
いろんな場所に立って考えてみたりもした。

果樹園は頂白山に見下されている


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2016年1月16日土曜日

畑の改造を優先した(このブログのはじまり)

2010年に就農して以来、今も果樹園の改植を続けている。
畑の改造を優先した結果、宅地地域、倉庫などは、後回しになった。

果樹園を継承して、私たちなりの経営方針を考え、畑の配置を見直し、果物の種類・品種を変更し、通路を整備することにした。
最初の年は、古い木、畑の混雑した地域の木を大幅に植え替えた。翌年以降、ブルーベリー畑を新設、さくらんぼ畑の1/3を植替え、雨除けハウスの増設、さらに西洋梨やぶどうも品種変更の植替えを進めている。

前の園主さんから引き継いで、トラクターをはじめとする多くの機械類、それらを含む農機具を納めるたくさんの小さなガレージを所有することになった。住宅は築50年を超える古屋(前の園主さんが住んでおられた)を内部改装して暮らしている。

最初は気付かなかったのだが、畑や宅地の周縁部には、その場所には必ずしもそぐわない、あまり目にしたくない、何かがすぐには判別できないものも含めて、数々の廃棄物が隠れていることがわかった。


まだまだ全然、農場経営が落ち着いていないけれども、宅地と倉庫の区域を何とかしたい。
「何とかしたい」というのは、機能性・作業性と、普段自分たちが目にする景観を改善・改造したい、ということである。そんな思いが段々と強くなってきたのは、就農して3年が経過した2013年の頃だった。


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